
姉は、その夜、ずっと泣いていた。
姉は希望した高校に入れなかった。
仲のよい友達は、みな同じ公立の高校へ進むのに、
自分だけが、遠く離れてた市立の商業高校へ通うのだ。
二階の部屋から出てこない姉を心配して、母は何度も階段を上がったり下りたりしていた。
その頃、僕は小学6年生で、姉がどうして泣いているのか解っていたし、
悲しんだところでどうすることも出来ないことも知っていた。
それは、姉も同じだっただろう。
でも、結局その日、姉は二階の部屋から出てはこなかった。
当時、僕のうちには一匹の猫と、一匹の雑種の犬がいた。
犬の名前はチョロといった。
チョロは、保健所がやっている「小犬の里親さがし」で貰ってきた犬だった。
しかし、本当のところ、チョロは僕ら家族が最初から希望した犬ではなかった。
欲しい犬は他にいたが、みな抽選のくじで負けた。
特に姉は、第一候補にあげていたコリー犬みたいな利口そうな犬が、どうしても欲しかったらしく、
はずれた時、とても悔しがった。
その後も、第2候補、第3候補と、ことごとくはずれ、
結果、誰にも人気がなく最後まで残っていたチョロが我が家に来ることになった。
「番犬くらいにはなるやろう。」
父は、笑いながらそう言った。
しかし、大方の予想通りチョロは利口ではなかった。
いつも寝ていて、誰が来ても吠えることもなく、番犬にもならなかった。
結局、死ぬまでに覚えた芸は、ぎこちない「お手」だけだった。
姉の高校生活最初の日の朝、重苦しい雰囲気の中で僕ら家族は朝食を済ませた。
食べ終わると、父はそそくさと家の隣にある仕事場へ行ってしまった。
母は、「慣れてくればすぐ友達もできるよ。」と言った。
姉は、ただ、「行ってきます。」とだけ言って家を出た。
僕が学校から帰ってくると、母が仕事場から飛んできた。
「なんだ、あんただったと・・」
母はそう言うと、また仕事場へ戻っていった。
それから、しばらくして姉は帰ってきた。
姉は、落ち込んではいなかった。それどころか、笑いながら帰ってきた。
そして、靴をぬぎながら、母にこう言った。
「聞いてよー、もう、チョロったら、私の学校までずっとバスの後を追っかけて来たとよー。」
「私、バスの中で、ずっと笑いたいの我慢しとったとやけん。」
「だって、あんな顔して、ラッシーみたいな事ばするとやもん。」
母も笑った。そして、安心したように、また仕事場へ戻っていった。
僕は、犬小屋の前で寝ているチョロを見た。
そして、一生懸命に走っているチョロの姿を想像した。
でも、どうやっても想像出来なかった。
ただ、姉が、いつもの元気のいい姉で帰ってきたことが、
僕はなによりも嬉しかった。
