10歳違いの赤ん坊の妹を背中におぶった母が、

小学校までの田舎道を歩いてゆく。

その途中、母は決まって仲良しのちーちゃんの家に立ち寄る。

「ちーちゃん、おはよー。」

玄関先でそう呼ぶと、ちーちゃんがニコニコ笑いながら中から出てくる。

それから二人は並んで学校へ向かう。

それは母が小学校に入ってからずっと変わらないことだった。

 

ちーちゃんのお母さんが亡くなったのは半年前の夏だった。

とても暑い日の葬式だったので母はよく覚えている。

ちーちゃんのお父さんはちーちゃんが4才の時、事故でなくなっていたので、

これでちーちゃんは、両親ともに失くしてしまったことになる。

それでも毎日変わらずニコニコ笑っているちーちゃんは、

本当に偉いと母は思っていた。

 

 

その日は、一日中寒かった。

昨夜から朝方にかけて積もった雪が、

夕方になってもまだ溶けずに道のあちこちに残っていた。

母は、酒屋へのお使いの帰り道、

ちーちゃんの家の横の納屋にあかりがついているのを見つけた。

窓から中を覗いてみると、ちーちゃんがひとりで臼を引いていた。

「ちーちゃん、なんばしよると?」

母はおもわず声をかけた。

「あ、トヨちゃん・・」

「これが全部終わらんば、ごはん食べさせてもらえんから・・」

「それ・・毎日しよると?」

「うん・・」 

ちーちゃんのお母さんが亡くなってからは、

長崎に出稼ぎに行っているお兄さんの代わりに、

その嫁である義姉が家をとりしきっていた。

その義姉がちーちゃんに辛くあたっているということを、

母は自分の母親から聞いて知っていた。

臼を引くちーちゃんの手はあかぎれて真っ赤に腫れ上がり血が滲んでいた。

母はその手をそっと自分の懐の中に入れた。

「着物の汚れるよ、トヨちゃん」

「よかと。」

母の目からは自然と涙がこぼれてきた。

母は、悔しくて悔しくてたまらなかった。

「どうしてちーちゃんだけがこんな辛い思いをしなければならないのか。」

「まだ私と同じ小さな子どもではないか!!」

義姉にそう言ってやりたかった。

だが、言えるはずもなかった。

それでも、ちーちゃんはそんな母の気持を知っているかのように言った。

「学校に行かせてもらいよるけんね・・

それに、私にはトヨちゃんもおるし、学校に行けばみんなもおる。

だけんぜんぜん辛くなかとよ。」

うす暗い納屋の中で、ほんの僅かの間だったが母が変わりに臼を引いた。

それは、とてもとても重い臼だった。

  

 

「見せろ!」

「いや!」

弁当の時間だった。

突然聞こえてきた大きな声に母は驚いて、声のする方を振り向いた。

すると、慎一がちーちゃんの弁当箱を奪い取ろうとしていた。

「こらっ、慎一!! なんばしよるとかっ!!」

男まさりの母が慎一に突っかかった。

「ちえ子は、いつも隅っこで弁当ば隠して食べよるけん、見せろって言うたとさ!!」

慎一も負けてはいない。

力まかせにちーちゃんの弁当箱を奪いとると、

みんなの前でその蓋を開けた。

その瞬間、みんなは黙ってしまった。

そこには、輪切りにされた大根が、生のまま無造作に入れてあった。

他にはなにもない。

ただ、それだけの弁当だった。

もう冷やかす者など誰もいなくなった。

一人、二人とその場から離れていった。

そして最後に母だけが残った。

「これ全部食べて帰らんと家でおこられるとよ・・」

そう言ってうつむいた。

突然、母は、ちーちゃんの弁当箱の中から何個かの大根を取り出すと

それを自分の弁当箱の中に入れた。

そして、自分のおかずを代わりにちーちゃんのがらんとした弁当箱の中に入れた。

ちーちゃんはびっくりして母の顔を見た。

「うちは大根が大好きやけん。」

そう言うと母は、大根を口いっぱいにほうばって、バリバリと食べて見せた。

「おいしかー!」

そう言って笑った。

あっけにとられていたちーちゃんもそんな母を見て思わず笑った。

「みんな知らんかったとよ。ごめんね。」

ちーちゃんは、首を振った。

「うちは恥ずかしかったと・・だけん隠して食べよったとよ・・でも、もうよかよね。」

「おいも大根好きばい!」

向こうの席で慎一が言った。

「おいも!!好いとるよ〜〜」

今度は武次がふざけて言った。

みんなが笑った。

ちーちゃんも笑った。

 

 

その日は魚ケ崎の灯台まで遠足だった。

灯台の下は50メートルほどの断崖になっていて、

風の強い日にはそこに立っていることすら恐い。

でも、今日は晴れ渡り、風も気持ちよかった。

女の子数人で、そこで弁当を食べることにした。

もちろん、ちーちゃんもその中にいた。

誰かが言った。

「弁当の中の嫌いなもんば、ひとつだけここから海に投げようか?」

「うん。そうしよう!」

みんなが賛成した。

それぞれが嫌いなものをひとつだけ弁当箱から取り出すと

思いきり海に向かって投げた。

母はちーちゃんを見ていた。

ちーちゃんの手に握られていたのはやっぱりあの白い大根だった。

ちーちゃんはそれを力いっぱい遠くに投げた。

そして、海面に落ちるとすぐに波に消されて見えなくなった。

みんなはじっとそれを見ていた。

ちーちゃんは大きく深呼吸をすると、振り向き、にっこり笑った。

母はちーちゃんの笑った顔が大好きだった。

ずっと見ていたいと思った。

 

 

 

僕が子供の頃、母は台所で食事の支度をしながら何度かこの話を聞かせてくれた。

そのたびに母は声を詰まらせ、涙ぐみ、そしてちーちゃんに思いをはせていた。

 

今年も母宛のちーちゃんからの年賀状が届いた。

孫の成長が何よりもの生き甲斐だと書いてあった。

母はそのハガキを何度となく読み返していた。

ハガキに綴られた文字の向こうに

ちーちゃんのあの優しい笑顔を探しているかのように。