精霊流しの日に、雨は降らない。

昔のことはわからないが、僕が知る限り雨が降った記憶がない。

亡くなった人の魂がそうさせるのか、

無事に黄泉の国に送り出したいと願う家族の気持ちが神様に通じるのか、

不思議に雨は降らないのだ。 

 

今年の精霊流しの日、僕は舟をかついだ。

去年亡くなった親友の兄さんの舟だ。

事あるごとに兄さんのことを口にし、目標にさえしていた親友の悲しみは、

身近な者の死に直面したことのない僕にとって、

想像もできないほど辛いものだっただろう。

電話でその事を告げられた時、

無理に笑っている親友に僕は何も言ってやることが出来なかった。

 

その兄さんには二人の子どもがいた。

5歳の女の子と、7歳の男の子。

両親の優しさをそのまま受け継いだような、素直で優しい子どもたちだった。

特にG君というその男の子は人なつっこく、

僕にもなついてくれたせいもあって印象に残っていた。

 お兄さんが亡くなったと知らされた時、まず、その子たちの顔が浮かんだ。

僕にも同じくらいの子どもがいたからかも知れない。

もうあれから一年が過ぎていた。

 

 

精霊流しの当日、僕らは出発直前まで舟の準備に追われていた。

突然、誰かが発電器用の油が足りないと言い出し、僕が買いに走ることになった。

車に乗ろうとした瞬間、そばにいたG君が、

僕もついていくと言って、反対のドアから車に乗ってきた。

「じゃー、運転手さん。出発!!」

そう言ってG君は無邪気に笑った。

しかし、盆休みと言うこともあって、

いくら探してもあいているガソリンスタンドが見つからない。

僕らは運を天にまかせ、思うままに車を走らせた。

道のあちこちで、たくさんの精霊舟が出発の時を待っていた。

小さかったり、大きかったり、トラックの荷台を飾り付けたものもあった。

一隻一隻に家族の思い入れと、亡くなった人の思い出がつめられているのだ。

「いろんな舟があるね。」

僕は言った。

「うん。」

G君は窓の外を眺めたまま、うなづいた。

そして、言った。

「でも、僕のお父さんの舟が一番カッコいい。」

「うん。そうだね。お父さんの舟が一番だ。」

G君はそれでもまだ、食い入るように窓の外を見つめていた。

 

やっと見つけたガソリンスタンドで僕らは油を買った。

僕らは急いでみんなのところに帰った。

 

 

陽も暮れかかり、舟に飾られた提灯が明るく輝き出した頃、

ようやく出発の合図を示す鐘が高らかに鳴り響いた。

そして、耳をつんざくような爆竹の音と煙の中、舟はゆっくりと進んでいった。

この一晩に何百隻という舟が、最終地である波止場を目指して街をねり歩くのだ。

その光景は、精霊流しという言葉の持つ静かなイメージとはおよそかけ離れている。

担ぎ手の男たちは酒をあおり、酔い、笑い、花火を燃やし、数限りない爆竹に火をつける。

そして、自分達の舟がどの舟よりも立派であることを誇示するかのように、

「ドーーイ、ドーイッ」のかけ声を天に届くほど大きく張り上げ、舟を引いていく。

それは、限りなく華やかで、美しい。

でも、華やかであればあるほど、

その対極に確かに存在する人の死という悲しみを浮き立たせ、

見る者の心になんともいえぬ情緒を感じさせてしまうのだ。 

 

最初、爆竹の音に圧倒され、お母さんの後ろにかくれるようにして歩いていたG君も、

時間が経つにつれすっかり慣れてしまい、自分から爆竹に火を付けるまでになった。

前に後ろに走りまわり、爆竹を鳴らし続けているG君の姿は、とても逞しく見えた。

僕らもそれに負けないよう、精一杯に舟を引いた。

暑さも、疲れも、感じなかった。

そして舟は、ドーイドーイッのかけ声と共に、大勢の見物人の待つ本通りへと入って行った。

 

 

舟が波止場についたのは、もう10時をまわる頃だった。

着くと同時に、係員の指示で提灯と帆が取り外された。

このあとこの舟がどうなるのか、僕らは知っていた。

そして無言のまま全員で舟を岸壁に寄せた。

すると、それを待ちかまえていたかのようにクレーンが、

その大きな爪で舟を持ち上げると、

運搬用の貨物船の上に無造作に放り投げた。

そして、そのまま他の舟といっしょにバリバリッと大きな音をさせて押し潰した。

その動作は何度となく続けられた。

舟は海に流されるのではない、

粉々にされて海に捨てられるのだ。

もうどれがお兄さんの舟なのかわからなくなった。

見ないで済むのならば、見たくない光景だった。

でも、ここまで見届けることが家族や担ぎ手の役目なのだ。

後ろの方で、お母さんが泣いていた。

親友も必死で涙をこらえていた。

G君のお母さんは、G君の両肩に優しく手を添えたまま、

それでも目はまっすぐにその光景を見つめていた。

そしてその口は、固く固く結ばれていた。

僕はその時、お兄さんのことを思った。

幼い子どもたちを残し、妻を残し、

ひとり逝かなければならなかったお兄さんのくやしさを思った。

全身に熱いものが走った。

唇がゆがんでいるのが、自分でもわかった。

 

 

打ち上げの会場に向かう送迎バスの中で、僕はG君のことを考えていた。

舟が潰された瞬間、G君は何を思ったのだろう。

あの悲しい光景は、G君の小さな瞳にどう映っていたのだろう。

僕にはわからなかった。

ただ、ひとつだけわかっていることがある。

確かにそうなのだと言えることがある。それは、

G君がこれから歩いていく長い長い道の先には、いつもあの舟がいて、

G君が道に迷わぬよう、まっすぐ歩いていけるよう、

その道を明るく照らし続けていくのだ。

 

  

バスは高台へ続く坂道をゆっくりと昇って行った。

車窓から見える長崎の町は、

いつもの静かな町に戻っていた。