国語の教科書がなくなった。

6年生も3学期、もう数ヶ月で卒業という頃のこと。

 

思い当たる所はぜんぶ探してみたが、

どうしても見つからない。

しかたなく親に言うと、やっぱりと言うか当然と言うか、

火が出るほど頭を叩かれた。

次の日、さっそく母と玉屋デパートの近くの本屋に買いに行ったが、

そこの店員が言うには、

教科書というのはそれ専門の本屋でしか売っていないものらしく、

それもすぐには手に入らない、ということだった。

店員にその本屋の場所を聞いて行ってみたが、

「新学期ならともかく、もう在庫はなく取り寄せても入ってくるかわからない」

そう言われ、しかたなく僕と母は

教科書を買えないまま家へと帰った。

 

「売ってないんなら、仕方なか。」

父はそう言うと、僕に友達から一晩だけ教科書を借りてくるように言った。

僕は意味もわからないまま、夕暮れの道を雅彦の家へと向かった。

その夜、父は、ずっと仕事場から出てこなかった。

 

 

朝、起きてみると居間のちゃぶ台の上に何か乗っていた。

本のようだった。

よく見ると見覚えのある表紙。

それは国語の教科書だった。

開いてみると、印刷の版下を焼き付けるのに使う灰色の印画紙に、

教科書が1ページずつ青焼きしてある。

それを二つ折にして穴を開け、厚紙で作った表紙をかぶせ、

それを黒い紐で留めてあった。

手に取ると教科書の倍くらいの重さで、

焼き付ける時に使う現像液のなんとも言えない匂いがした。

「お父さんにありがとうって言って来なさい。

夕べ遅くまでかかったとよ。」

母にそう言われ、僕は仕事場にいる父の所に行って

「ありがとう」と言った。

だが、そう言ったものの、僕は心から喜べなかった。

鼻を近づけなくとも匂ってく変な匂いと、

作り物の教科書だとすぐにわかる色と形が、

嫌だった。

その日、国語の時間になっても、

僕はその教科書をランドセルから出すことができなかった。

いつものように隣りのクラスの子から教科書を借りた。

 

 

6年生最後の父兄参観の日。

授業が始まると、みんなソワソワとしだし、

自分の親が来るのを今か今かと待っていた。

だが、僕は違った。

この時期、家の仕事がどんなに忙しいか知っていたし、

今朝になって、「どうしても今日は行けそうになかよ」と母に言われても、

それほど寂しくもなかった。

授業は始まってからずっと国語の本読みが続いていた。

親が来ているせいか、みんないつもより緊張した様子で本を読んでいる。

あと1人で僕の番になるという時、

来ないはずのない母が教室に入ってきた。

僕が本読みをしている間、

母は、教室の後ろからじっと僕の方を見ていた。

来てくれたことの嬉しさはもう消えていた。

僕が手に持っていたのは借り物の教科書だった。

母にもそれはきっとわかっていた。

本を読む僕の声は、他の誰よりもうわづっていた。

 

 

「どうしてお父さんの作ってくれた教科書ば使わんとね?」

家に帰るなり、母は言った。

「うん・・」

「あんたが気持ちよう卒業できるようにって、

お父さん、夜遅くまでかかって作ってくれたとよ。」

「うん・・」

「お父さんには黙っとくけん、明日からはちゃんと使いなさい。」

それだけ言うと母はまた仕事場へ戻っていった。

 

その夜も、父と母は遅くまで仕事場から出て来なかった。

もう何日もこんな夜が続いている。

この忙しさの中、

父は、母を学校に行かせてくれたのだ。

僕のために。

眠れない布団の中で、僕は何度もごめんなさいと言った。 

仕事場から漏れてくる明かりと印刷機の音は

いつまでも消えることはなかった。

 

 

それから何日も経たないうちに、

無くしていた教科書が見つかった。

隣のクラスの子が、僕に黙って借りていったまま、返しそびれ、

そのまま机の引き出しにしまっていたのを

その子の母親が見つけたそうだ。

夜遅く、お菓子を持った母親に連れられて、

その子が僕の家に謝りに来たが、

母も笑っていたし、

僕自身、もう腹は立たなかった。

  

僕は二階に上がると、机の上に二冊の教科書を並べた。

そして、見つかった教科書を机の横の本棚の中に置いた。

時間割を確かめながら、

もう一つの教科書をランドセルの中に入れた。