
小杉くんは、太陽学級の生徒。
太陽学級は、障害を持つ子どもたちのための学級で、
障害の程度や年齢に関わらず10人ほどの生徒がいた。
その中でも小杉くんは、比較的障害の軽い方の子で、
時々、奇声を発して廊下を走り回る以外は
僕らとなんら変わらないように見えた。
それでも中には、からかったり、バカにしたりする生徒もいた。
しかし小杉くんは、何を言われても怒ることもなく、ただニコニコ笑っているだけだった。
ある日の学級会のこと。
先生が言った。
「太陽学級の小杉が野球にまぜて欲しいそうだ。」
「いつも、おまえたちが公園でやってるのを見ていて、どうしてもやりたくなったそうだ。
昨日、小杉のお母さんが来て、そう言っておられた。」
「どうだ、誰か、小杉に野球を教えてやってくれないか?」
クラスがどよめいた。
「小杉って野球知ってんのかー?」
僕の前の席の昭三が小さな声で僕に言った。
「さー。」と僕。
「知るわけないだろう!!」
斜め前の雅彦が笑いながら言った。
「出来なくて、またいつものように大声でわめき出すだけさ。」
その時、女子のクラス委員が手を上げた。
そして、いつもの調子で元気よく言った。
「公園のグラウンドで野球をやってるのは、雅彦くんや、○○澤くんたちでーす!!」
「あのおしゃべり女・・・・」
そう言うと雅彦は、最悪だという顔で机に顔を埋めた。
次の日の放課後、僕らは公園のグラウンドで小杉くんを待っていた。
しばらくして小杉くんがやってきた。
手には新品のミズノのグローブ。
そして足には、巨人のオレンジのラインがそれはそれは鮮やかなゴムスパイク。
母親に買ってもらったという。
「すげーっ。」
昭三が羨ましそうに小杉くんを見ていた。
「じゃ、まずは、キャッチボール。」
雅彦が少し離れるように小杉くんに言った。
そして、ゆっくりとボールを小杉くんに向けて投げた。
しかし、ボールは、そのまま小杉くんの横を通りぬけて向こうへ転がっていった。
「いいか!!ボールの正面に立つようにして、こうやって取るんだ!!」
雅彦はボールを僕に投げさせると、今度は自分が取って見せた。
「わかったか?」
小杉くんは、わかったと言う顔をしたが、何度やっても同じだった。
ただ、後ろへ転がってくボールを、ニコニコ笑いながら何度も追いかけている。
「駄目だな・・こりゃ。」
昭三が言った。
「うん。駄目みたいだ・・」
と、僕。
しかし、それにしても雅彦は熱心だった。
先生に名指して頼まれたせいなのかも知れないが、
どちらかと言えば嫌っていたはずの小杉くんに、雅彦は本気で野球を教えてやっていた。
僕と昭三にはそれがとても不思議に思えた。
結局その日は、キャッチボールだけで終わった。
2日目になると、小杉くんはなんとかボールを取れるようになった。
バットも形どおりには振れていた。
これでやっと試合ができる。僕らもホッとした。
チーム決めの時、小杉くんは、4番がどうしても打ちたいんだと雅彦に頼んでいた。
雅彦も笑ってそれを認めた。
試合になると小杉くんは本当に嬉しそうだった。
打席に入る前、王選手のまねをして、片足をあげて素振りをする格好がおかしかった。
そして、いよいよ小杉くんの打席。
三球三振・・・
すると突然、小杉くんは、バットを持ったまま三塁めがけて走りだした。
かと思うと、今度はスライディングでホームに帰ってくると、大喜びで、
「ホームラン!! ホームラン!!」を連発している。
そして、もう一度打席に着こうとした。
次の打者が止めに入ると、あの奇声でワーワーと喚きたてる。
なかなかバットを渡そうとしない。
「交代だって言ったろう。」
雅彦がなだめるように言った。
小杉くんは、ションボリした顔でグランドの隅に行って座った。
そして、小杉くんが三度目の打席で、また三振した時のことだ。
毎回三振するのがよほど悔しかったのか、また奇声を発すると、
今度は手にもったバットを何度も地面にたたきつけた。
そして、いきなりキャッチャーからボールを奪いとると、公園の下のドブ川に投げてしまった。
みんなが唖然としている中、雅彦が恐い顔で小杉くんの方へ走っていった。
「あれは、みんなのボールだぞ!!」
「行って、とって来い!!」
そう言うと、小杉くんの胸ぐらをつかむと、思いきり押し倒した。
小杉くんは、倒れたまま、大声で泣き出した。
赤ちゃんのような泣き声だった。
ただ、ボールだけがドブ川の向こうにどんどんどんどん流されていった。
「もう、知らん!!」
そう言うと雅彦は、僕らを残しそのまま帰ってしまった。
それから僕らはどうすることもできず、泣いている小杉くんを家まで送って帰った。
次の日から僕らは公園に行かなくなった。
雅彦はあれから小杉くんのことは口にしなくなったし、
僕らだけで野球をする気にもなれなかった。
小杉くんにも、なるべく学校で顔を会わせないようにした。
時間がたてば、野球のことも忘れてくれるだろう。
そう思っていた。
それから何日かたった日の放課後、
帰宅しようとしていた僕ら3人は先生に職員室に来るように呼ばれた。
「きっと、小杉のことだぞ・・・」
昭三がいまにも泣きそうな顔で言った。
僕も雅彦も覚悟はしていた。
ただ、出来ないものは、出来ない。
それだけは言おうと思っていた。
しかし、先生は怒るどころか、笑って僕らを迎えてくれた。
「今日、小杉のお母さんが見えられた。」
「おまえたちに、感謝してると言っていたぞ。」
「毎日、小杉と野球をやってくれているそうじゃないか。」
「・・・・・」
「小杉は、毎日、夕方遅くに帰ってくるそうだ。
今日は、ヒットを打ったとか、ランニングホームランだったとか。
楽しそうに話してくれるそうだ。」
僕らはうつむいたままだった。
何も言えなかった。
誉められても、嬉しいはずがなかった。
あの公園で小杉くんは、ずっと僕らを待っていた。
たった一人で・・・
胸が破けそうなくらい苦しかった。
職員室を出たあと、僕らは重い足どりで学校をあとにした。
雅彦はずっと黙っていた。
しばらくして、昭三がポツリと言った。
「小杉・・今日もおるのかなー?」
「うん・・・おるやろね。」
と、僕。
だが、そのあとが続かない。
すると、突然、それまで黙っていた雅彦が急に走り出した。
そして、振り向きざまに僕らに言った。
「みんなば、呼んでくる!!おまえたち先に公園に行っとけ!!」
「うん!!」
僕もすぐに走り出した。
そして昭三も。
僕らは、ありったけの速さで公園まで走った。
先日、昭三の結婚式で久しぶりに雅彦に会った。
中学に入るとすぐに野球部に入った雅彦は、高校、大学、社会人とずっと野球を続けていた。
今は、関西にある企業の野球部で選手とコーチを兼任しているそうだ。
飲んでいくうちに自然と小学校の頃の話になった。
雅彦も小杉くんのことは、よく憶えていた。
僕は聞いてみた。
「どうして嫌っていたはずの小杉に、あんなに熱心に野球を教えてやったのか」と。
小杉くんと雅彦は、保育園では大の仲良しだった。
いつも一緒にいて、なにをやるのも二人一緒だったそうだ。
それが小学校に上がった頃から、自然と雅彦の方から遠ざかっていった。
きっと、雅彦自身、くやしかったのだ。
それまで普通に付き合っていた友達が、学校に上がると特別のクラスに入れられて、
みんなにからかわれたり、笑われたりすることが。
そして、それを見て見ぬふりをしてしまう自分のことが・・・
たった数日の間だったにしろ、あの時、雅彦と小杉くんは、保育園の頃の関係に戻れた。
ありのままに友達でいれたその頃の関係に。
それが、なによりも嬉しかったんだと雅彦は言った。