K写真製版所が店をたたんだのは去年の暮れのことだった。

経営状態が悪いことは、 印刷業者の間でも前々から知られてはいたし、

いつ潰れてもいいような状態だったことは確かだった。

僕が最後に製版所を訪れた時には、もう、大きな機械類は持ち出された後で、

ガランとした部屋の中は、同じ所だとは思えないほど広く感じた。

 

「時代ですね・・

今はパソコンとソフトさえあれば、同じような仕事が誰にも簡単に出来ますから・・」

また、いちから出直しです。」

僕とそう歳も変わらない二代目の社長が言った。

「そうですか・・。」

長い沈黙が続いた。

 

 

K写真製版所とは、僕が子供の頃からの付き合いで、

職人気質の無愛想な先代の社長が恐くて、

父親に頼まれ使いにやらされるたびに、緊張したのを覚えている。

それでもその社長が帰りしな、仕事の関係で映画館から貰うのだろう新作映画の招待券を

ときどき僕にくれるので、それを目当てに我慢して使いに行ったものだ。

窓という窓には暗幕がかかっていて、中に入ると部屋全体がまるで暗室のように真っ暗だった。

時折、ボワッという音がして、大型カメラのフラッシュがものすごい光を放つ。

部屋中に張り巡らされたロープからは数え切れないほどのフィルムが吊されていて、

その中をかきわけるように僕は中へと入っていった。

鼻をつく薬品の匂いと、

ランニング一枚で謄写版に向かっている先代の社長の後ろ姿を、

僕は今でもはっきりと覚えている。

もうあれから20年以上が経った。

 

 

「おじちゃん!!」

製版所を出て車に乗ろうとした時、後ろで声がした。

伸也くんだった。

確かうちの娘と同い歳だったと思う。

とても明るい元気な子だ。

「僕の家、今度引っ越すとよ。」

「うん知ってるよ。なんだか寂しくなるね。」

「ううん、ぜんぜん寂しくなかよー。だって僕、来年から小学校やし、

今度の家ではおばあちゃんと一緒に住めるもん。」

「そっか。」

「ね、おじちゃん。世界で一番偉い人って誰か知っとる?」

「さーー、誰やろー?」

「夕べ、お母ちゃんが僕に言うた。

世界で一番偉いのはお父ちゃんって、

だから、お父ちゃんにずっとついて行こうねって。」

そう言って笑った伸也の顔には不安のかけらもなかった。

「伸也君はお父さんのこと好きかい?」

「うん!!大好き!!だって一緒に銀河マンごっこしてくれるもん。」

 

 

K写真製版所は市役所横の公園のすぐそばにあって、

僕は毎日、車でその前を通る。

製版所のドアは暗幕も看板も外され、テナント募集の張り紙が貼ってある。 

でも、僕にとってあのドアの向こうは今でも、

あの暗い、薬品の匂いのする、製版所のままなのだ。