6年生の夏休み明けの席替えで僕の隣に座ったのは、クラス一おとなしいM子だった。

M子は5年生の時に転校してきた。

転校してきたその日、M子がみんなの前で挨拶をしたときのこと。

始めて聞くM子の声は何か聞いたことのない変な訛があった。

それを聞いたクラス中の男子がドッと笑った。

男子だけではなく、女子までもがクスクスと笑った。

「おまえたちだって、同じようなもんだぞ!!」

先生は言ったが、M子はただうつむいて顔を赤らめ、それ以上口を開かなかった。

そんなことがあって、M子はあまり人と話そうとはしなかった。

国語の時間、先生に本読みをさせられても、いつも小さな声で本を読んだ。

「聞こえませーん」と誰かが冷やかすと、もう泣きそうな顔になって声も出せなくなる。

結局、転校してきて1年経ってもM子はクラスに馴染めず、一人でいることが多かった。

 そんなM子が僕の隣に座る。

なにかこっちまで気分が暗くなるようで、嫌だった。

 

 その頃僕は学校が終わると、まっすぐに家の近くの墓地に向かった。

それは、そこにやってくる一匹の野良猫に餌をやるためだった。

「かんたろう」と名づけたその猫は、野良猫にしては人なつっこく、

僕が学校から帰る時間を知っているかのように、いつも同じ場所で僕を待っていた。

本当は自分の家で飼いたかったが、家にはもう猫が一匹と犬が一匹いて、

それ以上飼うことは出来ないと母親にきつく言われていた。

それで僕は、給食のパンとかチーズとか、

とにかく猫が食べられそうなものは、少しだけ残しておいて帰り道にやっていた。

 

 

その日も、いつものようにチーズをこっそり机の中にしまった。

別に隠す必要などなかったが、それを猫にやっているということをみんなに知られるのが嫌だった。

しかしその日、ちょうどそれを隣の席のM子が見ていた。

M子は何か言いたげにこっちを見ている。

僕が怒ったような顔で睨むと、M子はすぐに下を向いた。

「なんや!!」

僕が言うと、

「ううん・・・なんでも、なか・・・」

M子はうつむいたまま、小さな声で言った。

次の日もM子は僕がパンをちぎって机の中に入れるのを見ていた。

そして、僕が給食を食べ終え、食器を片付けに行こうとした時だった。

「わたしのもあげようか?」

突然、M子が言った。

そしてほとんど残っている食パンを半分にちぎって僕に差し出した。

「猫にあげるとやろ?・・」

僕は驚いた。

「おまえ、なんで知っとるとや!!」

「お母さんが・・・買い物の帰りに◯◯沢くんと猫の一緒にいるとば何度か見たって教えてくれたと・・」

 M子の家は、墓地の脇を通る長い階段を登りきったところにあった。

 僕自身、何度かM子の母親を見ているし、

逆に僕が猫に餌をやっているのを母親が見ていたとしても、おかしくはない。

 ただ、そのことをM子が知っているということが恥ずかしかった。

「いらん!!」

 僕はただそう言うと、運動場へ遊びに行った。

 

 

 

 その日は朝から大雨だった。

一日中降っていた。

夕方まで降り止まない雨は、ちょうど学校が終わって帰る頃に一番ひどくなった。

 こんな雨だし、まさか猫も墓地に来ることはない。

きっとどこかで雨宿りしているだろう。

 そう思って僕は、墓地に寄らず真っ直ぐ家に帰った。

 

ところが次の日、墓地に行ってみると猫がいない。

しばらく待っても現れない。

 あわててあちこち捜したが、どこにも猫の姿はなかった。

 次の日も、その次の日も。

 そして、二度とかんたろうがその墓地に現われることはなかった。

 

 

  

 それからしばらくたった日のこと。

 朝、学校へ行く途中の僕を誰かが後から呼び止めた。

 M子だった。

 「なんや、おまえや。」

 M子は下を向いたまま、何かを言おうとしていた。

 「なんや、早よう言え!!!」

そう言うとM子はいつもよりもまして小さな声で、

 「あのね・・・◯◯沢くんが餌ばあげよった猫・・・」 

「猫?」

 「あん猫がどうしたとや? もう、あん猫はどっか行ってしもうたとぞ!!」

 「・・・・うん。」

 知っているというようにM子はうなずいた。

 「いま、あの猫ね・・・私の家に・・・おると・・・」

「えっ?」

「なんでや? どーしてや!!」

僕は声を荒げ、大声になって聞いた。

 M子はもう今にも泣き出しそうな顔で、

「・・・・いつか、大雨の降ったやろう。私、あの墓地ば通って家に帰るとけど・・・・

そしたら、あの猫のおったと・・・。」

「墓石の横の石椅子の下に隠れとったとけど、でも、もう、びしょ濡れで・・・」

「しばらく一緒に◯◯沢くんの来るとば待っとったとよ・・けど、雨のどんどんひどうなるし、

私、もう、どうしていいとか解らんようになって・・それで、家に連れて帰ったと・・・・」

 

僕は黙っていた。

 

 「でも・・・次の日、ちゃんと外に出したとよ。けど、また家に戻ってくると・・・

そしたら、だんだん猫の可愛いうなってきて・・・・

 お母さんも、私がちゃんと面倒見るとやったら、家で飼ってもよかって言うてくれたと・・・。」

 M子の話しを聞きながら僕は何と言っていいのか解らないでいた。

 「いままで、隠しとってごめんなさい・・・」

 そう言うとM子は黙ってしまった。

目には涙が溜まっていた。

 

 「もう・・・よか・・もう、お前の猫たい。」

僕は言った。

「ほんと・・・本当によかと?」

M子は、何度も、そう聞いた。

 僕はただ、黙ってうなずいた。

 すると、さっきまで泣きそうだったM子の顔がパッと明るくなった。

 「名前はなんにしたとや?」

僕は聞いた。

 「まだはっきり決めとらんと・・・◯◯沢くんはなんて呼びよったと?」

 「カンタロウ・・」

 「あー、北風小僧やろー、私も知っとるよーそれー。」

 M子は嬉しそうに笑った。

本当に嬉しそうだった。

 

 

 去年の夏、先生も交えて久しぶりに小学校の同級生が集まった。

 だがそこに、M子の姿はなかった。

そして、もちろん、誰一人M子のことを口にする者もいなかった。

 

 僕は今でもときどき、あの雨の日のことを思い出す。

 そして、ずぶ濡れになったかんたろうを抱いて、どしゃぶりの雨の中、

家までの長い階段をトコトコと登っていくM子の小さな後ろ姿を思い浮かべる。

 

 あの時、

M子にかんたろうの事を打ち明けられた時、

淋しいと思いながら、それでもすぐにM子を許すことが出来たのは、

それまで知らなかったM子の淋しさを、感じたからだったのかも知れない。

 

  

 写真提供:AO